Log(きょうごく)

きょうごくのLog

都内在住の大学生の日記風ブログです。いや日記です。

ひねくれものはこう考える

 例えば、突然の余命宣告を受け絶望のどん底に落とされた悲劇のヒロインとそんな彼女に寄り添う恋人の残された時間を描いたストーリー、みたいな映画なりドラマなりドキュメンタリーなりを見て、みなさん思わず涙を流した経験はありませんか。

 僕もそういう経験がない訳ではありません。感動で涙腺が緩んだ経験の1つや2つはありますとも。でも、そうは言いつつもこう考えてしまうのです。

 そりゃ余命宣告された悲劇のヒロインなんて取り上げれば感動モンになるに決まってるっしょ、って。なんか、死とか病気とかそういうのをトピックにするればそりゃ、ねえって思ってしまうんです。感動の脅迫みたいな......ひねくれてるとは思うんですけど。似たような感覚をもつひねくれものの同志ならスカッとジャパンとか人権や環境といった大義名分にものを言わせたなにかしらとかを見るとかゆくなるかもしれません。

 だから、実家にいたときに朝ご飯を食べた後にテレビの24時間テレビのダイジェストを見たときも似たような気持ちになってしまいました。24時間テレビは気づいたら始まってていつの間にか終わってたので全く内容は知らなかったんですけど、手や足に障害を持つ少年少女が義手や義足を使って今までできなかったことにチャレンジするみたいな企画のダイジェストを見て、「へえ~、そんなことやってたんだねえ」っと呟きました。なんか、義手や義足の性能はすごいと思ったしそれはぜひ使われると良いと思うけど、なんかねえ。そんなのダシに放送してほしくないなあ。チャリティーラソンもまんま感動の演出ってかんじだから、嫌いじゃないけど......野球に全然興味のない僕だけど甲子園で敗退して涙を流してる球児を見た時のほうが僕の心には突き刺さる。この違いが何なのかなんて上手く説明できないんだけど、何というか僕の生理的な問題かな。

 しかし、僕にうっとおしいくらいのたっぷりの愛情を注いで育ててくれた過保護気味の母は24時間テレビのダイジェストを見てそう呟いた僕に「こういうのを見て素直に感動できる人でないといけないよ」と真剣に言いました。曰く、「感情を素直に口にできる人間でなければならない」のです。ウチの母はそういう母で、僕はその言葉だけ聞いたならばそのとおりだと首を縦に振っただろうけど、その時の僕はひねくれモードなので「ん~~~......そうだねえ」と言うので精一杯。まあ母さんは僕が何を考えているかおおよそ分かった上でそう言ったと思うし、母さんのほうが確かに大人なのだろうとは思わなくもないんですけど。実際、24時間テレビで毎年何億もの募金が集まるらしいですね。テレビ局とかスポンサー側の都合はともかく、そんだけ集まるんだから感動の演出には大きな意味があると言えるとも思います。僕もちっとはチャリティーに参加してから物申すべきか。

 僕の面倒臭いところを付け加えると、そういうひねくれたことを考えるくせに僕の考えと同じようなことを言っているやつをリアルで見ると耳をふさぎたくなるところです。同族嫌悪ってやつ?せめてそういうのはTwitterで呟いてくれって思っちゃう。いや、そっちのほうがタチが悪いか。匿名で言いたい放題してるよりもちゃんと自分の意見として口にするほうが立派だよね。......ひねくれものも楽じゃないぜ。