Log(きょうごく)

きょうごくのLog

都内在住の大学生の日記です。

【日記】一年半通った居酒屋バイトの最後の出勤日

 駅の出口からわずかに1分ほどしかかからない位置にある、横断歩道をわたってコンビニの上の2階。カンカンカン、と乾いた音をさせて鉄骨のビルの階段を上る。いつもどおり、出勤15分前。重たい扉を開ける。

「おはようございまあす」

 開店と同時の出勤で店にはまだ店長が1人いるのみ。店長から軽快な挨拶が返ってくる。いつもどおり更衣室と言う名の1畳ほどしか広さのない物置き場で服を着替えてタイムカードを押す。予約表を見る。今日は大人数の宴会の予約が入っているようだ。

 予約は6時半なのでそれまでは今日のような平日の店が混むことはまずない。案の上6時までにお客さんはほとんど来なかった。冷凍ポテトを200gずつ量ってビニール袋に入れていきながら店長と雑談をする。いつもどおりの当たり障りのない雑談。そう、いつもどおり。

 6時前になって他のバイトがやってきた。角度的に姿は見えなくても扉が開く音は聞こえる。

「おざまーす」

「おはようございます!」

 声が2つ聞こえた。僕でも店長の声でもなくて、2つ。聞き慣れた雑な挨拶と聞き覚えのない声の元気なのと。今日は6時出勤の人は1人じゃなかっただろうか。

 顔をだすと就活でおとなしくなったギャルのような顔をした見慣れたとの、見慣れない可愛げのある女の子。

「あっ、新人の吉田(仮名)です。よろしくお願いします」

 初対面の僕に印象の良い明るい自己紹介だ。僕も自己紹介をする。自己紹介をしながら面倒だな、と思った。彼女と僕は長い人生で今日のたった4時間しか共有しない。まあでも、可愛いからいいか。

 それからお客さんが増え始めた。始めは練習を兼ねてドリ場(ドリンクを作る場所)に入っていた吉田さんもドリンクをさばけなくなってあたふたしている。時々教えながら別の仕事をしていたが、きつくなってきたので自分と交代してもらう。

「ああ~、ええ~っと、これってどうでしたっけえ?あ、代わってもらえます?じゃあお願いします~」

 関わって30分ほどで思った。このコは若干ブリッコが入ってる。そこまでひどくはないと思うし、男の自分としてはそれくらいでも悪い気はしない。ただ、もう1人のバイトから面白くない女、という女特有の黒いオーラを感じる。ついでに店長がそのオーラを彼女から感じ取っているオーラも感じる。多少カオス。

 僕の居酒屋は新人が続かないことに定評がある。新人が半年以上続く確率はおそらく1割から2割ではないだろうか。いや、もっとひどいかもしれない。新人の多くは1か月以内に、多少続いたものでも3、4か月くらいで辞めていく。

 以前の記事でその理由を考察してみたこともあるが、早い話仲良くなれないのだ、バイトの古株と。そしてこの吉田さんは、メンタルやテンションは居酒屋バイトに向いてそうだが、ウチには合わないだろうと思った。ウチの居酒屋のバイト上層部と仲良くできる雰囲気があまりしない。「あれ猫被ってるよね」と裏で言われそうだ。

 その新人の猫被りが面白くなさそうな女のバイトの先輩が僕に聞いた。

「今日、出勤最後っしょ?いつからやってたっけ?」

 かなり軽いノリだが、一応そこに触れにくるんだなと変なところに反応してしまう。このまま、新人がいること以外はいつもと変りなく勤務終了となりそうな雰囲気だったのに。

 1年半くらいになりますね、と答えて、ふと新人の吉田さんを見ると多少驚きの表情を浮かべていた。

「えっ、今日最後なんですか!?」

 そりゃびっくりだろう。出勤が最後の人間の雰囲気が僕からも職場の雰囲気からも全くしないのだ。1年半の思い出を振り返ることも、労われることもない。ましてや「これからもちょくちょく顔出しに来てね」みたいなお約束の社交辞令すら出る由なしといった具合だ。外部から見れば先輩とも店長とも普通に会話をしているのでなおさら奇妙かもしれない。だが、この決してお互いに詰め寄らない一定の距離間を保って今までやってきたのだ。

 吉田さんと僕は退勤の時間が一緒だった。周りに誰もいないとき、吉田さんが僕に聞いた。

「その、ここ、どうですかね?私やっていけるかなって」

 楽観的な印象を受ける彼女もいろいろ懸念するところはあるのだろう。正確には忘れたがそんな趣旨のことを聞かれた。もう辞めていく僕ならその手の不安を伝えても問題ないと思ったのだろう。

 しかし、そう聞かれて困った。僕がこの職場に抱いている居心地の悪さを彼女に伝えるのは悪い。彼女がこのコミュニティでやっていくのは難しいかもしれないという僕の見解を彼女に伝えるのは猶のことだ。しかし、僕は彼女が上手くやっていくことを願ってはいる。もう2度と会うことはないだろうが、自分の作った轍を踏ませることはしたくない。

 僕は少し押し黙った後、他のバイトには会ったか聞いた。同じ女どうし、今日出勤していた先輩と仲良くなるのは重要だが、他の男のバイト上層部と仲良くやれればおそらく問題はない。

「ああ、会いましたよ。金原さん(仮名)はちょっと恐いかな...」

 そう聞いて、少し悲しい。その金原さんはバイト上層部で確かに恐い。しかし、彼は新人には丁寧に接する面もあるのだ。彼が好印象を抱いた相手——それは主に仕事の能力的なことだったり容姿だったりだが(彼女は彼の御眼鏡にかなわなかったのかもしれない)——にはなおさらで、そういう場合は新人のほうも彼への印象は悪くはないだろうと僕は考えている。つまり、彼女が金原さんに対して恐いと感じたのは妥当だが、あまり良い傾向ではないような気がしたのだ。

 僕は、店長はフレンドリーだし怒鳴り散らしたりするような人ではないこと(本当は店長を全面的に肯定してはいないけれど)、規則もゆるくてやりやすいこと、加えて他のバイト達、特に僕がバイト上層部と呼ぶ彼らと仲良くなることが大切であろうことを伝えた。さらに、これは言うべきではなかったと思っているが、僕は彼らと仲良くないことが辞める一要因であることもやんわり言った。彼女は「最後の日にそんなこと......」と驚愕していたが、事実だ。僕を反面教師にしてほしい。

 最後の出勤も終始いつも通りだったが、まかないは豪華だった。なんと僕1人のために鍋。しかも線が細い割には大食いの僕のために四方から囲んでつついても遜色ない量を独り占め。この夏に?とも思ったが、店長は純粋に思い出に残るようなまかないにしてくれたと思っている。でも、本当はいつも通りで良いからさっさと帰りたかったというのが本音だ。大根が煮えるのを待つのも、熱々で大量の鍋を食べるのも時間がかかりすぎた。