Log(きょうごく)

きょうごくのLog

都内在住の大学生の日記風ブログです。いや日記です。

「意識高い系」とか「本当に意識が高い」とかさ

 万に一つもないとは思うが、もしこの記事をK君が読んだら気を悪くするだろう。ごめん。先に謝っておく。

 

 最近地元の友達数人であつまってご飯を食べた。会う頻度は年に1、2回あるかどうか。多少オシャレになっている友達もいたが、さほど見た目に大きな変化はあまり見られなかった。しかし、やはり皆もう20歳を超えて大学生活も折り返しというところ、意識の変化が垣間見えた。

 自分は今こんなことに興味がある、だからこんなことをしたいんだ。大学で学んでいることに意味はあるのか、学んだことが将来何に役立つのか。就職は東京近辺でするか、それとも地元でするのか。どういった業界や企業を目指しているのか。それとも公務員になるか。インターンにこの前行ってきた、行くつもりだ…。

 ぐずる赤ちゃんをあやすお母さんとお父さんの横の、我らのテーブルの上にはそんな若々しくも灰色の会話が乗っかっていた。

 どうでもいい。そう思った。

 自分は将来のことなどほとんど何も考えていない。せいぜい綺麗なお嫁さんをもらって明るい家庭を築くことぐらいが自分の語れる関の山だ。大学院には進むつもりではいるが。なぜかって? 周りの多くがそうだから。もしくは長く学生をやりたいから、もといまだ働きたくないから。...何か問題でも?

 もちろん自分はバリバリの理系人間で、そんな類の人間に比べれば、文系や院進学をしない者の就職うんぬんの話題がホットになる時期は早いかもしれない。しかし、なんとなく居心地が悪い。己の大学生としての姿勢を否定されている気分だ。みんな、もっと楽しいハナシをしようよ。

 友達の一人に難民問題等に関心を持っているK君というやつがいた。割とできる大学に入ってそれらしい学生団体に入り、アフリカの名のあまり知られていない国にボランティアのようなもの(ボランティアとはちょっと違うことをしてきたのは理解できたが、それを一言で表す語彙を持っていない)をしにいっていた。彼がフェイスブックでそういったことに関するイベントや事業について投稿しているのはよく見かけた。

「アフリカに行って思ったんだ」

 彼は語った。

「そこで会った多くの人がおそらく早く死ぬ。自分は生き続ける。そんな自分に、自分だからこそ、できることがなにかあるんじゃないか」

 生理的にきつい。誰もがどこかで聞いたことのありそうなセリフ。表面上は関心を示してはいたが、内心では引いた。

 かなり立派だとは思う。自分には彼がやっていることを否定する理由も権利もない。しかし、本能的に無理だ。少なくとも、「サッカーを好きな人がサッカーの試合を見に行ったりサッカー関係の仕事をするみたいに、自分が興味のあることを俺はしたいだけなんだ」という彼の言葉は詭弁だと感じずにはいられなかった。

 「意識高い系」だと揶揄するつもりはない。スタバで Mac Book 開いて Face Book で自分の経歴や活動をアピールして、「この啓発書読んでインスパイアーを受けました。TOIEC勉強しよう」とかそんな感じなのと一緒にするつもりは毛頭ない。

 でも意識がリアルに高い人の話は素直に受け入れられない。自分が刹那的に生きているからというのもある。彼の言っていることが綺麗ごとにしか感じられないからというのもある。きっと彼は心から自分のやっていることに胸を張ってやっているのだろうけど、ごめん、「すごいことやってるすごいヒトがいるなあ、オレはしないけど」が本音だ。

 その後、ルノアールでおしゃべりをしていたら小説の話になった。意識高い系よろしく言わせてもらうと、自分は一般的な大学生に比べたら割と小説は読むほうだと思う。意識高い系っぽく好きな小説や作家の話を批評を交えつつしていたところ、K君は村上春樹は読まないのかと自分に聞いた。「ノルウェイの森」なら読んだことはあった。しかし、村上作品がそう言われがちなように、自分もとっつきにくさを感じていた。彼にそのまま伝えると、彼は村上春樹の初期の作品から読むとハマると薦めてきた。

 小説に限らず、映画のシリーズものやアーティストでも、初期のほうが良かったとぼやく人はよくいるように感じる。どこかで彼らのことを懐古厨と揶揄しているのを聞いたことがある。それと似た雰囲気を聊かK君から感じ取ったが、確かに「ノルウェイの森」が特別難解なだけかもしれないと思った。

 帰りに「風の歌を聞け」をブックオフで買った。村上春樹のデビュー作だ。数日後、新幹線で移動中に暇を持て余したので読んでみた。長くない小説だ。4、5時間くらいで2度読みした。他の村上春樹の作品も読んでみよう、とは思えなかった。