Log(きょうごく)

きょうごくのLog

都内在住の大学生の日記風ブログです。いや日記です。

日曜日の早朝からの記録

 日曜日の早朝、久しぶりに今日はいい天気になりそうだというのに虚無感がひどかった。寂しいので、ChatPad というサイトで女の子のふりして適当な人とチャットをした。

 最初にチャットをしたのは若い女の子で、韓国のどっかのアイドルがマジカッコよくてマジヤバイから教えてやるよと言われた。切れ長の目にさらさら金髪のどっかの韓国のアイドルが全身黒い服に身を包んでクネクネとエロさをまき散らしてダンスをしている動画を見させられ、「韓国ううって感じでいいよね!!」とその子は僕を置いてけぼりにして盛り上がっていた。最近 Yahoo!ニュースの日韓関係について言及している記事なんかを見ると嫌韓感情まるだしの右寄りで過激なコメントが大量についていてそのコメントらに大量のいいねがついていたりするけど、そんなコメントをしてはいいねをする彼らがこの動画を見てこの女の子とチャットをしたらどう思うだろうなんて素朴に思った。「エロいと思う。けどタイプじゃない」と女の子のフリをしつつ素直に感想を述べていたら、チャットが唐突に途切れてしまった。ちなみに僕が女性だったら鈴木亮平とかと結婚したい。

 次に喋ったのは出会い系で知り合った美人の女性と結婚したという30そこそこの男性で、2時間以上にチャットが続いた。最近読んだ小説の登場人物の白湯子という女性をベースに2人いる姉や研究室の同期の女の子をモデルにして、 "22才の女子大生" はチャットをすればするほど鮮やかに映し出された。そのうちモデルたちの枠組みから飛び出してどんどん自主的に自己を語りだしていった。相手の男性は若くて少し愛想が悪いけどセクハラ気味の会話にもキモイとか言いながらも付き合ってくれる女の子とチャットができて楽しかっただろうか。本当は画面のこっち側にいるのはどこにでもいるような怠惰な男子大学生だし、同じようにあるいは画面の向こう側にいるのは孤独な中年OLとか年端のいかぬ小学生かもしれないけど、誰だって違う風に生きられるし生きられたのだし、人生に自信がもてるならば、自分が誰であろうと相手が誰であろうとその誰かとなんら変わりはなく、さして重要なことではないのだ。

 その男性の奥さんが起きてきたようでーその男性には奥さんがいてそのときベッドから出てきたのだー唐突にチャットは終了した。いつのまにか外はすっかり明るくなっていた。徹夜したにも関わらずまだ眠る気にはなれなくて、提出期限が明日になっていた課題を2時間かけてやることで脳を活発化させた。逆効果だったか、少し眠気を感じたけどやはり眠りたくなくて、いっそ外に出かけることにした。鏡にぼさぼさの頭をした自分を見て美容院に行こうかと思ったけど、鼻の横に赤く痛々しいニキビができていたのに気が付いたのでやっぱりやめた。どちらにせよ重要なことではない。シャワーを浴びて、誰に見せるでもないけどなるべくおしゃれな格好をしてみてニキビを隠すようにマスクをつけて、鞄に勉強道具をつめこんで外にでた。

 気まぐれにブックオフや書店に行ってから、久々に喫茶店に行った。昨今の東京は緊急事態宣言中以上にコロナが流行っているらしいのに日曜日のお昼の喫茶店にはたくさんの人がいて、いつも僕が使っていた店の端っこ喫煙ブース近くのテーブルも使われていた。ちょっとは自粛せんかい、と自分勝手にも心の中で悪態をついた。本当は勉強をしようと思っていたけど、いつもの席に座れなかったので読書をすることに変更した。どちらにせよ重要なことではない。新潮文庫の100冊からチョイスして買ってきたカミュの『異邦人』を呼んだ。最近になって海外の本を手に取るようになって思うことなのだけど、海外の本は選ばれた一部の本たちしか一般的な書店では買えなさそうだ。僕の行動範囲にある2つの書店にもブックオフにも眺めれば眺めるほど全く同じラインナップの本が並べられている。気取った誰かがネットでおすすめしている本なんて書店で在庫検索をしても×印ばかり表示される。ちなみに、以前ブログで触れたまとめて10冊ほど買った海外の本はまだ2冊ばかりしか読んでない。僕もどっかの誰かみたいに気取ってみたいだけだから、とりあえず買っとけば満足する。そのうち読むさ。ちなみに『異邦人』はよく分からなったけど、とても面白かった。

 家に帰ったときには外はほとんど暗くなっていた。寝不足で頭が痛くなりだしていたのでおとなしく横になった、けど21時前には目が覚めてしまった。相変わらず頭痛がしていた。コンビニで適当にごはんを買ってきて食べた。全く勉強することなく主にネットで将棋を指しまくっていたらいつのまにかまた太陽がすっかり顔をだしていた。頭痛が本格的にひどくなっていて、バカバカしくなった。今度こそ眠った。ベッドからはい出したときには20時だった。4限はサボってしまった。「勉強しよー」と正午前に友達からラインが来ていた。なんでこんな時間にこんこんと眠りこけていたのかなあととても後悔した。「ごめん寝てた」と返信した。頭痛はすっかり治っていた。漫画みたいな音をたてて腹が鳴った。ちゃんとお米を炊いて料理をして健康的なご飯を食べた。ところで、院試が1か月後にあるというのに本当に勉強してなくてどうしようマジヤバイ。

バイバイ我が家の愛犬

 実家で飼っていた犬が死んでしまった。今日、母さんから家族のグループラインで伝えられた。

 ミナトという名前で、僕が小学1年生のときの15年くらい前から飼っていた。実は、1年くらい前にこのブログに写真を載せたこともある。もう既にかなりのおばあちゃんで、いつ死んでもおかしくないかんじだった、と1年前に書いた記事を振り返ってみたら書いてあった。なんだかんだで長生きしたもんだなあと思う。

 ミナトは最近ではもうかなり弱っていて、よたよたとしか歩けなかった。それでも食欲はあったようで、最後の夜ご飯もしっかり食べたらしい。最後まで食い意地のはった犬だった。

 昨日の夜遅くに父母が家に帰ると、ミナトは車庫で大量の血を吐いて倒れていたらしい。その時はまだ息はあったみたいで、ミナト、と呼びかけられると必死に立ち上がろうとしたけど、もうどうにも力がなかった。

 血だらけで、死にそうで、ふこふこ言っていたけど、父母はどうにも寝ないわけにもいかなくて、夜、ミナトを独りにして寝たらしい。

 今日、父母とおじいちゃんおばあちゃんとでお墓を作って埋葬したそうだ。

 最初母さんからのラインを見たとき、僕は宿題のレポートをやっていて「あっミナト死んじゃったんだ......」とつぶやいて、ラインを返すの面倒だなあなんて思った。ラインを返さずに、宿題やらなきゃってレポートの続きをした。

 1,2時間後にラインを読み返して、愛犬が今にも死にそうってときでも人って眠くなるんだなあなんて思った。やっぱりなんて返したらいいか分かんないなあとか思いながら、「長生きしたよね」とだけ返信した。

 それから、そういえば前にミナトの写真ブログに載せたことがあるっけと思い出して、もう一度読んだ。それで、今これ書いて、ふこふこと言っていたけど......って書いたあたりで、ミナトの写真ってもっと撮ってなかったかなって。スマホのアルバム漁ったりして。ほんのちょっとだけ撮ったビデオを見つけて、そこに映ってるミナトは「ミナト」って言われるとダッシュで駆け寄ってて、昔は元気だったんだよねって。お墓はどこに作ったのかなって思った。きっと、最後は苦しくて寂しかったろうな。

「センセー、そんなに出されてもやんないって、あ」

 宿題を少しでも減らそうと訴えていた中学生の生徒が、すりガラスの窓の方に目をやって言った。

「もしかして雨降ってる?」

 たしかに窓の外側には水がつたっているようで、耳を澄ますとサーっと音が流れていた。「うわ、サイアク。自転車で帰んなきゃいけないのに」とか言っている彼を半分羨ましく思った。

 

 授業が終わったとき、おそらく新人であろう女の子が授業のことで僕に質問してきた。自分より後輩がもう何人もいるはずだけど未だ新人塾講師の気分の僕は、珍しく質問されたものだから少し戸惑った。

 たまたま答えられることだったから良かったけど、長く働いている人に聞いたほうが無難なのに。いや、新人の子からしたら誰が長く働いているか見分けがつかないか。僕だって未だに名前を覚えていない人がたくさんいるし。そうだな、髪色が明るい人はなぜだか長く働いているような気がするなあ。

 そう気付いて、僕も少し昔の明るい髪色のままのほうがあるいは良かったのかもしれないとふと思った。

 

 外に出ると、雨は大粒になっていて容赦なく降りつけていた。うるさいくらいだった。傘は持ってきていなかった。

 そのうち誰か同僚も出てくるだろう。ぐだぐだしていないでさっさと帰ろうとして、いやまてよ、むしろこれはチャンスなのかもしれないと思い直した。あてのない期待に、数分屋根の下にいた。数分経って、一度教室に戻ってみようかな、とこれまたあてもないのに考えた。カウンターや裏のブースでおしゃべりをしているであろう同僚たちを思い浮かべて、やっぱり無理だなとまたまた思い直した。

 近くのコンビニまでは500mぐらいある。それならもう家まで帰っても大して変わらないか。

 覚悟を決めて雨の中うつむき加減で速足で歩き出した。傘もささず雨の中を歩くと変に目立ちそうなのが嫌だったけど、家までの距離を走りきれる体力はない。

 1つの傘を仲良くシェアしている男女とすれ違った。男性のほうの肩がびちょびちょで、全身びちょびちょの自分が惨めに感じた。やっぱり全力で家まで走ろうか。でも、そうしてしまうと僕の体の表面をうすく覆っている何かが破れてしまいそうな気がして、代わりに胸を張って歩いてごまかした。ますます雨が服にしみ込んで重たくなった。

 今はとにかく誰にも会いたくない。一刻も早く家に帰ってシャワーを浴びたい。もしも誰か僕の友達の1人が僕を見かけたとしても、気づいていないふりをしてほしい。さもなくばその場で自分の持っている傘を投げ捨てて一緒に走ってほしい。

 誰かバイトの同僚に、途中まででも傘に入れてもらえば良かったのに。でも教室からの帰りしなに一緒のエレベータに乗るのすら息がつまりそうだから避けているのに? 自分から頼む勇気がないから、誰か優しい同僚が「傘、入ります?」なんて声をかけてくれないかと待つことしかできない。ろくに話したこともない人にそんなこと言えるかっこいい人いるかな? やっぱり、さっさと雨の中に飛び出していくべきだった。もしぐだぐだしている間に誰かが出てきたら、屋根の下途方にくれている僕を横目に無言で傘をさしていくだろう。そんなのお互い気まずいだけだ。でも、雨は冷たいし。

本棚

 本棚の左上からなめまわすように見ていく。ひとつひとつ、ゆっくりと、順番に。見られている本たちも普段は一瞥だにもらえないものだったりするから、緊張して背筋を伸ばしているような気がする。そう思うと、なんだか自分が立派な人間になったように思えて、気分は俳優の卵に淡々と合否を告げる審査員で、君には見るところがあるのかい。両手を腰において、時には膝をおって、書店の海外文庫の本棚の前に陣取ってしばらくそうしていた。やはり彼らを気に留める人は少ないのだろうか、同じ本棚の前から動かない僕に迷惑そうな視線をよこす人や遠慮がちに横から物色してくる人はいなかった。

 女性のショッピングはそれそのものが手段ではなく目的となっているとよく茶化されるように、僕にとって本を買うことはそれ自体が目的となることが多くて、つまり買うはいいが結局読まないなんてことはざらにある。

 この日も、ネットで有名な海外の作品を事前に調べまくり、気になる本をピックアップして、そのうえで本棚のオーディションを開いたのだ。

 これは気になっていたやつだ。これは見覚えがあるけど、なんだっけ。『ロリータ』とはなんて興味の引くタイトル。

 そんな調子でミーハー全開。ブックオフと6月に入ってようやく再開したパルコにある書店とで合計10冊購入した。10冊と事前に決めておくと無駄遣いの抑制になるし、それこそ本当は合格をあげたい子が他にもたくさんいるのに、なんて葛藤が楽しめる。

 おそらく1年経っても10冊のうち1.2冊は開きすらしないだろうし、さらに1.2冊は途中まで読んで終わりなんてことになるだろう。でも本棚に本を並べてほとんど満足してしまうのだから仕方あるまい。海外の本ばかりを買ったのも、僕の本棚には海外の本があまりないなあと思ったからだ。間違っても僕があまり海外の本を読んだことがないことが大きな理由ではない。

 外から見たら、綺麗だから。

 そうそう、僕が自分の家から半径1km圏内から出たのは2か月ぶりだった。だってスーパーもコンビニも郵便局もその圏内にあったもので。本だって必要なものはネットでもKindleでも買えるしね。

 しかし、その圏内で独りでも生きていけてしまう自分が恐ろしくて可哀そう。世の中ではコロナ解禁と言わんばかりに軽率にも遊び回る若者が問題視されたりするみたいだけど、いっそ彼らが羨ましい。満員電車に揺られて歌舞伎町まで行けば、誰かが朝まで一緒にお酒を飲んでくれるだろうか。きっと不謹慎を肴に飲むお酒は美味しくて、火照った顔が早朝のビル風に吹かれたら痛快だろう。それでコロナにかかることができたなら、誰かからの心配なり説教なりを受けて誇らしいのだ。

 意外にもパルコの書店には大勢の人がいた。たくさんの本棚の間からいろんな音が聞こえてくる。どこかから僕と同じ胸を締めつける音が鳴っている。でも、確かに鳴っているはずなのに、雑誌コーナーで英語を喋る外国人カップルが、友達同士で写真集をみてきゃっきゃと言っている女の子たちが、半径1km圏内の世界なんて知らなそうで、きらきらしている。それとも彼らにだって、読まずに並べた本がたくさんあるのだろうか。

文通

 友達から手紙が来た。青い封筒には雑に貼られた3枚の切手、左上から右下に流れた不器用な縦書き。封筒の中には、「ございます」などと不自然に丁寧な言葉で書かれた手紙、実験用のグラフ用紙でこさえたと思われる返信用封筒にピンクや水色の可愛いディズニーの便箋(友達が使ったのはシンプルな白の便箋なのに)、そして初めて見るマジックザギャザリンのカードが2枚。なかなか個性的なおくりもの。

 その友達はこのコロナ禍で暇を弄んで仕方ないらしく、とは言っても最近ぜんそくと診断されたのもあって人一倍他人との接触に慎重なようで、そこでひまつぶしに文通でもしませんかとのことらしい。暇すぎるがあまり、さば缶をあけるまでさばは生きているか分からないという「シュレディンガーの鯖問題」について日夜考察している、と手紙には書いてあった。僕も何か「シュレディンガーの鯖」に対抗しうる思考実験について考察したいけど、そんなニッチなものは僕の頭には浮かびそうにない。

 例えば僕の昨日は、将棋のネット対戦をまるでなめらかな世界で慣性が働いているかのように昼も夜もなく指し続けていたりしていて、本当は課題をしたり教授に言われた論文を読んだりしなきゃいけないし、きちんとスーパーに行って野菜や肉を買ってきて料理をしたいとも最近積読気味な小説を読みたいとも考えていたはずなのに、負けすぎて将棋に疲れると冷凍食品のチャーハンを平らげつつ原作で何度も読んだ灰原哀の初登場スペシャルをYouTubeでボーっと眺めていたりした。高校の頃の国語の先生が、「忙しい時期に恋人を作っている暇などない、というのは大嘘だ。恋人がいるからこそ生活にハリができてどんなに多忙でも頑張れるんだ」と言っていた。その手紙をよこしてくれた友達に恋してるわけではないけれども、独り部屋で鬱々と時間を潰していた僕はその手紙を読んで1人にやにやし、シャワーを浴びて机に向かえたからやっぱりそういうことなのだと思う。

 勉強もほどほどに、本当はあの便箋と封筒を使うのは気が進まないが、せっかくなのでそれを使って返信を書こうとしてみたけれど、思うようにペンが進まなかった。

 こうやってダレトクなブログを気ままに書くことはあれどーもちろんその友達はこのブログのことは露ほども知らないがー高校生の頃付き合っていた子を除けば誰かから手紙を貰ったことも書いたこともない。照れや恥じらいと戦いながら恋人へ書く手紙はそれでそれで難しいと思うけれども、恋人でもない誰かに目的もなく手紙を書くのだってひとしお難しいもので、文の調子だけとってもどう書いていいものか分からない。あの「ございます」の調子も共感できなくもない。

 変わり者の友達は僕以外にも何人かの友達に文通を持ちかけているようだが、僕も含めてそのみながマメに返信するのか疑わしい。2、3回やりとりをして、というのが関の山な気がする。しかしそう思うと寧ろこの文通は意地でも続かせねばと半ば宿命じみた気持ちにすらなって、それにやはり僕が手紙をニヤニヤ読んだときのことを思ったりもする。コンビニでも切手は買えたっけ。

ベランダから

 僕が1人暮らしをしている部屋のベランダには、段ボールの中に段ボールを詰め込んだ、イスと呼ぶには頼りない腰を掛けるためのそれがある。そこに座ってイヤホンつけて音楽聞いたり動画みたり煙草ふかしてビール飲んたりして黄昏れてみて自分に酔いしれるのが好きなのだ。どうも最近はいつも寂しくて、本当は誰かと映画でも一緒に見たりお酒を飲んだりしたい。このご時世じゃなかったら誰かにそう求めているのかというと、どうなんだろう。そんな感じで独りベランダで気分を濁している。

 そもそもの頻度が少なめではあるんだけど、一応罪悪感というか近隣住民への迷惑を考えて夜遅くか早朝にしか煙草は吸わない。それに隣のベランダに洗濯物が干しっぱなしだったりしたら吸わない。つまり勝手に隣のベランダを覗き見しているのだけど、そのことについては罪悪感は感じない。勝手にお隣様のベランダを覗き見している僕は、左隣の部屋の学生は彼女と半同棲状態らしいことや、右隣りの人がこの春に引っ越してきて几帳面にも布団を週に何度も干していることを知っている。

 ベランダで腰かけて顔も名前も知らないお隣さんたちの生活に想像を巡らせてみることがある。左隣の人は、寂しさに満ちて乾きぎみな僕の部屋とは対照的できっとアロマが焚かれたりしているのだろう。外出自粛だから今日もおうちデートだねとか言って。素直に羨ましいなあと思う。右隣の人はおそらく上京してきたばかりの新大学生だったりするのだ。新生活の期待に胸を膨らませてやってきたけど、コロナのおかげで大学は封鎖されていて、友達の1人もいなくて不安や寂しさを抱えながらオンライン講義とか課題とかをこなすだけの毎日を繰り返しているんだ。例年通りなら講義がサークルがバイトがの新生活をエンジョイできたはずなのにと己の不幸を呪い、そんなありきたりな生活を送ってきた全ての人に嫉妬しているのだ。あるいは未だに質素で無機質な自分の部屋に閉じ込められているのが嫌になって鬱憤を晴らしたくて、試しに左隣のベランダを覗いてみたりするかもしれない。そしたら僕は彼と友達になれる気がするのだ。僕が、例えば「お隣さん通し仲良くしましょう」なんて言って隣の部屋のインターホンを鳴らしても上手くいかないとしても。

 最近の東京の夜は過ごしやすくてベランダにいる時間が長くなった。下の駐車場を眺めていると、よく猫がいるのを見つける。白と黒のぶち猫。いつもそこを通るときには見ることがないのに、夜ベランダから見下ろすと車の間を縫うようにのんびりと歩いていたり街灯の光の下に居座っていたりしている。今まで2度、4階の僕の部屋から大急ぎで駆け下りて駐車場に出て猫と触れ合おうと試みたことがあるけど、どちらもふられた。その短い時間で駐車場から出て行ったのか、車の下に隠れているのか。求めてみてもつかめないもの、と信じかけている。

やっちゃった

 寝坊したときはたいてい、目が覚めた瞬間にそのことに気付くものだ。予定通り起きられたときはまだ寝ていたいと訴えている体を無理に起こすもので、寝坊したときは本能のままに睡眠をとったために頭がスッキリした状態で目が覚める。だから今日昼寝から目覚めた時、時計を確認するまでもなくスッキリした頭を抱えたくなった。

 昨今の対処に従って僕の大学も休校中だが、僕の研究室ではzoomを使ってオンラインでゼミが行われている。今日はいつもの勉強会的な少人数のゼミが午前中にあったのに加え、夕方から研究室の全員(10人ほど)が集まって最近の進捗や見通しなんかを報告するゼミが例外的にあった。ちなみに配属されたばかりの僕は研究も論文読みも何もしていないし聞き役に回るだけだ。

 午前中のゼミは出たのだ。最近は毎日その時間にゼミがあるので問題はなかった。1時間半ほどのゼミが終わって、お昼ご飯を食べて、夕方からのゼミに備えてちょっとお昼寝でもしましょうかねと思ったのが間違いだった。

 目が覚めたときの絶望よ。既にゼミ開始から1時間近く経過していた。LINEには先輩から「ゼミ来れないの?」とのメッセージが50分前に。すみません寝てました......じゃないや、まだやってるなら早く参加しなきゃ。慌ててパソコンを開いてミーティングに参加。いっそもう終わっててくれてたらと思ったが、ちゃあんとやってた。無言で会議に参加する僕。就活の報告やら勉強の様子やらを話している先輩。気まずい。これがオンラインじゃなくてリアル会議だったらば、新人が1時間も遅刻してノックもせず会議室にいきなり入り、みんなそのことを認めているのに会議は進んでいるといった状況か。その新人は会議に横槍を入れることもできずに謝罪のタイミングを計ってきをつけで突っ立っている。つまりミュートにせずに物音ひとつたてずにいる。

 先輩が話し終わり、先生がコメントを入れて、若干の間ができた。あ、ここだ。

「途中にすみません。寝ていました。......すみません」

 ビデオオフだけど10人の冷ややかな視線を感じる。今おうちだけど、帰りたい。

「うん、そうか。それで次は.......」

 先生は何事もなかったかのように続けた。え、それだけ? 逆にこわい。叱責するとか、笑って許すとか、分かりやすく態度を示してもらわないとこちらも振る舞い方が決められない。実際先生の怒りのバロメーターが如何ほどか想像もつかない。全然気にしていないように聞こえたけど、呆れ切っているだけだろうか。それともはらわた煮えくりかえっているのを見せていないのだろうか。分からん。こちらとしてはすごく申し訳ない気持ちでいっぱいですという姿勢をアピールして、反省しているならよろしいとか月並みなお許しを頂いてさっさと後ろめたさとさよならしたいのに。いやそんなこと考えてるくらいだから全然反省していないのだけど。

 まもなく、本当に僕が参加して10分くらいでゼミは終わった。

 「ミーティングは終了しました」と冷たく表示されたパソコンの前で声にならない声を出して悶えた。ついでにもう一回ベッドに潜りなおしてぐるんぐるんした。

 とりあえず、先輩からのLINEを返さねば。冷静になってスマホを手に取る。すみませんでした、と打ってみて悩む。これだけだど淡泊すぎて印象が悪い、気がする。なんかひねくれてるみたい。もう一言ぐらい付け加えたいけど、上手く言葉が出てこない。かと言って(笑)をつけてみるとか論外だし、サークルの先輩か友達にするみたいに土下座か申し訳ないです顔の絵文字をつけるのも軽率な雰囲気を与えるだろうなあ。!でもつけとく? それもびみょいかなあ。LINEって難しいなあと思いながら、結局「すみませんでした」と無印の返信をした。グループでも謝罪を入れたほうがいいだろうかとまた悩む。僕が懸念しているほどみなさん気にしていないだろうけどなあ、とか思う。つまるところ僕が気持ちよくなるために謝りたいだけだし、僕が逆の立場だったとして、寝坊野郎が謝り倒していたらそう思う、と思う。既に一度肉声の謝罪はしたし、これで良しとしてもらおう。と勝手に決めた。屁理屈並べてみたけど面倒なだけ。

 ちなみに先輩からは「自力で起きれたみたいで良かった(笑)」と返ってきた。